2016/11/20

よみがえるエレーヌ・グルナック! Hélène Cécile GRNAC va renaître!




      駿河 昌樹
     (Masaki SURUGA)


 エレーヌは10月31日に亡くなったし、葬儀は11月2日だったので、いつも11月は、エレーヌの死を思いながらのスタートとなる。
 けれども、誕生日は11月22日だった。
 ケネディが暗殺された日だが、ド・ゴールの誕生日でもある。

 中学生時代、ロゼール県の中心地マンドMende*で、その地を訪問したド・ゴールと握手したことがある、とエレーヌは言っていた。
 家を離れてマンドで寄宿生活をし、勉強や読書に励んでいた頃だ。
 エレーヌはサルトルの『嘔吐』を学校で借りて、その世界に没頭したという。実存主義の流行っていた頃なので、世間での評判に影響されたのだろうが、中学生としてはなかなか早熟だったかもしれない。『嘔吐』は、生涯、好きな小説のひとつだった。
 亡くなる間近まで、デュラスやプルーストとともに、カミュのこともずいぶん好んだが、中学生時代の実存主義の洗礼の名残りかもしれない。
 大学生になってパリに出てから、道でサルトルに出くわして、ぶつかったことがあったという。行きつけのカフェには、女優のアヌク・エーメがよく姿を現わし、マストロヤンニが来ることもあった。68年の五月革命にも居合わせ、終始、あの雰囲気の中にいたらしい。サルトルやフーコーが街頭で演説するのを聞いている。
 道でサルトルにぶつかったのに類似した経験が、エレーヌと私にはある。
 春になると、赤坂のアークヒルズの桜並木のライトアップをよくふたりで見に行ったが、ある時、舗道を逆方向から歩いてくる大柄の外国人にぶつかりそうになった。慌てて避け、相手の顔を見ると、元ロシア大統領だったエリツィンその人だった。黒服のロシア人のボディーガードが数人、サアッと寄ってきたが、エリツィンはエレーヌと私を見て、にっこりとしていた。
 奇妙な出会いだったが、心臓の治療のためにお忍びで来日していた時のことらしい。
 

 エレーヌが10月31日に亡くなって、11月22日に生まれたことから、誕生日も逝去日も遠ざかっていく今となっては、私の気持ちの中に奇妙な逆転の意識が引き起こされることがある。
 10月31日に亡くなって、11月22日に生まれ変わったかのように思えることがあるのだ。
 よみがえるエレーヌ・グルナック!Hélène Cécile GRNAC va renaître!
 11月22日が近づくと、そんな思いが湧き続けて、なにかお祝いをしないといけないような気になる。
 今もエレーヌのことを思う人がいるならば、11月22日に小さなお祝いを気持ちを持っていただければ、と思う。コーヒーと甘くないチョコレート(カカオの含有率の高いもの)、良質のライ麦パンやパン・コンプレ、パン・ド・カンパーニュ、コンテやエメンタールなどのチーズが大好きだったエレーヌだから、それらをちょっと用意してもらえば、十分な誕生祝いの御馳走になるだろう。
 好物ということで言えば、もちろん、豆腐や納豆も、玄米も、ワイルドライスも。