2014/05/04

2003年度の上智大学の学生たちの色紙

(エレーヌ・グルナックこんなこと 12)


 駿河 昌樹
   (Masaki SURUGA)


 エレーヌの蔵書の重要なものは、いまでも私がトランクルームに保持している。亡くなった翌年の2011年、取捨選択してなんとか30箱ほどにまとめた。
 箱詰めして以来開けたことのなかったそのうちの一箱を、先日4年ぶりに開けてみたら、彼女が2009年まで勤め続けてきた上智大学の学生たちからの色紙が見つかった。
 2003年度のフランス語科のフランス語口頭表現クラスの学生たちによるもので、作成されたのは2004年の1月の授業終了時期だろう。真ん中に、直訳すれば、「2003年にあなたの学生だったことはとても大きな喜びでした!」といったことが書かれていて、まわりには、学生ひとりひとりの感謝の言葉が書かれている。




 この色紙がエレーヌに贈られてから10年が経っているので、この時の学生たちももう30歳前後になっているだろう。どんな人生を歩んでいるだろうか、と思う。エレーヌが生きていれば、彼らと再会するのをずいぶん楽しんだに違いない。彼女は今年73歳になるはずだったので、定年で大学は退職しているわけだが、自分も学生たちもともに大学を離れて、ようやく本当に“友”として接することができると考えたのではないかと思う。
 このクラスの学生たちは、エレーヌが、この色紙を贈られた6年後の2010年に亡くなったことを知らないだろう。それでいいと思うし、できればあと20年ほど、そんな状態が続けばいいと思う。あの人のことだから、まだ元気だろうとか、なんとかやっているだろうとか、そんなふうに思い続けるというのも素晴らしい。

 大学でのエレーヌがどんな先生だったかは、クラスごとにも違うようだし、学校ごとにも違うようだし、なにより、時期によってもずいぶん違うように思える。とても厳しい、怒りっぽい先生だった時もあったらしいし、ユーモアに溢れた親しみやすい先生と映った時もあったらしい。
 教室でのエレーヌを私は見たことはないが、それでも脇から見ていたかぎりでは、1980年代や90年代のエレーヌは、ユーモアや包容力に溢れている一方、かなり厳しい先生のようだった。遅刻には厳格だったし、怠け者の学生には手厳しかった。会話練習の時に小さな声で答えるような学生や黙ってしまう学生を非常に嫌った。「日本人は内気なんだよ」と私が言うと、「聞こえないような小さな声で答えたり、黙っているのは失礼です。日本人だからといって、そんなことは許されない」と苛立っていた。外国人教師たちを一様に苛立たせる日本人ならではのコミュニケーション下手や曖昧さを、エレーヌも本当に嫌悪していた。
 フランス語が下手でも大きな声ではっきり答えてくるような学生のほうが、エレーヌには嬉しかったらしい。わかっているのかどうか、発音のぐあいはどうか、それがとにかくもはっきり教師側に伝わるからで、確かに、これがなくては語学教育のベースは整わない。
 逆に、エレーヌがいちばん嫌ったのは、いわゆる帰国子女のうちのフランス語口語がけっこうできる学生たちだった。他の学生が太刀打ちできないほどペラペラしゃべることができるものの、ていねいで正確なフランス語でしゃべることはできず、書くこともできないし、ましてや頭を使う必要のある文学作品や論説文をちゃんと読解することも十分にはできない。それなのに、フランス語については何も学ぶ必要はないと思い込んでいる。正面から「あなたのフランス語はぜんぜんダメです」と叱った学生も何人もいたらしい。授業を終えてきたエレーヌが、こうした学生たちに苛立っていつまでも怒っているさまを、私は何度も目にしている。

 21世紀に入ってからの10年ほどはずいぶん優しいユーモラスな先生になったようだったが、これには、じつは私が諄々と諭し続けた成果もあったのではないかとひそかに思っている(べつに、そんなことで自慢めいた気分に浸りたいわけではもちろんないが…)。
 世紀が変わる頃から、学生たちの質がどこの大学でもはっきりと低下し始めたとエレーヌは言っていた。態度も崩れたし、勉強もしなくなった。いろいろな学生がいるというような話では収まらないような、奇妙な変化が日本中で起こっているとエレーヌは感じとっていた。教育には非常にまじめで、それゆえに厳しかった彼女は、これまで通りの指導のしかたではあまりにうまく行かな過ぎると感じていた。大学の授業で感じる学生相手の大小のズレに悩むことが多くなったし、非常にやる気のある社会人たちとプルーストなどを読み続けるカルチャーセンターだけが救いだと、よく聞かされた。
 私がエレーヌに勧めたのは、もっと大学の授業を楽なモードでやるようにすれば?ということだった。日本人ならともかく、エレーヌは外国人なのだし、非常勤講師なのだし、日本の若者の生活指導や根性の叩き直しを大学で受けあう必要などない。日本の若者の雰囲気は、その親たちや小中高の指導によって大きく変えられてしまったのでもあるし、そもそも生活や学習の態度について規制力の働きづらい大学という場所で彼女ひとり孤軍奮闘する必要はない。出席も足りず、やる気も足りず、学力も十分でない学生なのに、就職が決まったからなんとか単位をやってくださいと大学が頼んでくるような社会になってしまった中では、教員は根本的にやり方を変える他ないと思うよ。そう勧め続けたのだった。
 日本人の教授たちや助教授たちには、適当に学生対応をして、適当に単位を出して茶を濁している者が多い。外国人教員たちは、自国での勉強の厳しさや受ける評価の厳しさを経験してきているから、基本的には学生たちに厳しく対応する。ここのギャップから苦しむ外国人教師たちは多かった。エレーヌの同僚や知りあいたちの意見も聞く機会があったが、外国人教師たちの誰もが、こんなことでは日本の将来は大変なことになるんじゃないか、と言っていた。確かに、大変なことになってきた…そう言っていいように思う。

 私は上智大学に関わりがないが、今年の4月、桜の満開の頃、この大学の脇の線路沿いの土手を歩いて花見をしてきた。ちょうどいい機会なので、上智大学の教会や大学構内にも立ち寄ってみた。
 この大学はずいぶんと小さいので、構内全体をまわるのには苦労しなかったが、ここに毎週エレーヌは通い続けたのか、門から入って、おそらくこの棟に入って、…と思いながら、ゆっくり見てまわった。
 大学の門を出てからも、駅までの距離を漠然と目測したり、信号待ちをしてみたりして、エレーヌの中に染み込んでいた風景を、また新たに取り入れようとしてみていた。





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