2013/07/20

エレーヌの闘病を記録したフォトサイト

   (エレーヌ・グルナック こんなこと 10)



le 23 juillet 2010


 駿河 昌樹
  (Masaki SURUGA)

  
   2009年から2010年、エレーヌの闘病中、フランスの親族に状況を伝える一環として、ネット上のフォトサイトPhotobucketにある程度の数の写真を掲載し続けた。

 当時、エレーヌとどこの医療機関に行くにもカメラを携えて動き、それ自体なかなか面倒な作業となったが、彼女の親族に現状を伝えて、しかるべき行動を促すためには必要な措置であると考えていた。

 この時に使用していたPhotobucketへのリンクをここに載せておく。日本のエレーヌの友人たちにも、病中のエレーヌの姿をふつうに見てもらってもよい頃になったと考える。
 http://s852.photobucket.com/user/MasakiS/library/?sort=3&page=0

 このフォトサイトの写真は、エレーヌの親族によってかなり熱心に見られていたが、エレーヌの体調が悪化していった時点で、故郷の妹から病気のエレーヌの状態を見たくないとのメールが来た。
  私は自分の生活時間を大きく削って、写真ばかりでなく、数日おきにメールで病状報告をフランスの全親族と友人たちに送り続けていたが、この身勝手なメールには激怒させられた。東京ではエレーヌの友人たちだけが彼女を支えているというのに、血のつながった親族がなにを言うのか。若くない兄や姉妹に対して、遠い日本に来てすべてをやれとまでは望まないにしても、数多いエレーヌの甥や姪のひとりぐらい、様子を見に来てもいいのではないか。

 病気のエレーヌの精神状態にあまり影響を与えないように、こういう親族たちをそのまま「泳がす」ことにしたが、妹からのこの発言を機会に、私は病状報告や写真の掲載をあえて減らすことにした。エレーヌの病気の現状からは目をそらし、それでいてエレーヌ自身には「元気になって。わかっているだろうけれど、誰よりも愛しているから」との電話をしてくるような親族たちについての私の認識も、彼らへの対応も、これを境に、大きな変化を強いられることになった。

 フランスの親族は、ついに闘病中も、葬儀にも、死後のさまざまな整理の間にも来日しなかった。現在の私は、彼らになんの困惑も怒りも感じず、人間というものの多様な振舞いかたの一例を思わされるばかりである。

 彼らのひとりひとりをよく知っている私としては、他ならぬ私に、エレーヌのすべてを先ずは任せるのが最良、との考えを彼らが持っていただろうと思う一方、そういう考えをたくみに隠れ蓑として利用しつつ、面倒なことは他人にしっかり押しつけるという見事な振舞いかたをしたのだとも思う。
 はじめから彼らのこうした目算をほぼ見抜いていて、ひたすら「泳が」せ、人間の醜さをいつもながらに観察するのを楽しんだ人間喜劇好きの私も、それなりの振舞いかたをしたことにはなるかもしれないが…

 エレーヌの親族のような振舞いはどこの国でも見られる人間模様で、こういう振舞いかたに秀でた人間には事欠かないのがこの世というものには違いないが、それにしてもフランス人には、ことの他こういう者たちが多いナァ、…
 …とここで呟いてしまえば、はたして、言い過ぎということになるだろうか…

 在東京フランス領事は、エレーヌの親族について、このように私に語ったものだった。
 「フランスの代表としてお伝えしたいのですが、日本の友人の方々には本当にお世話になりました。この親族というのは…、まったくフランスの恥です…」

 これを思い出せば、もちろん、フランス人全般に話をひろげて考えるべきではないだろうとは思われるのだが…

 






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