2012/11/22

11月22日、エレーヌの誕生日


(エレーヌ・グルナック こんなこと 4)

 


2010年6月、東京医療センターで。リハビリの後、はじめて歩けるようになった夜。

上の写真と同じ夜。



 駿 河   昌 樹
  (Masaki SURUGA)



   ここに載せた写真は、病中のエレーヌの写真のうちでも最も印象深い2枚だ。
 11月22日はエレーヌの誕生日なので、いくらか記念の意味も込めて、これらを公開しておきたいと思う。

 2010年6月撮影で、エレーヌの携帯電話の中に保存されていたもの。撮影したのは、エレーヌの長年の友で、ピアニストの中島慶子さん。作曲家のメシアンに呼ばれてパリに留学し、帰国後、フランス音楽を中心に研鑽や演奏を続けている。エレーヌの浮腫がひどかった数カ月、ピアニストならではの指の強さを生かして、エレーヌの足をマッサージし続けてくれていた。
 
 なぜ印象深いかといえば、腹水と浮腫とで寝たきりに近くなり、抗がん剤や免疫療法、高濃度ビタミンCなどのすべての療法をストップせざるをえなくなっていたエレーヌが、ふいに急速な回復を遂げ、リハビリに精を出して、ついに自力で歩けるようになった夜の姿を撮影したものだからだ。
 よほど嬉しかったのだろう、エレーヌはこれらの写真をメールに添付して、すぐに送ってきた。昨日までは立っていられず、歩けなかった自分が、今日はふたたび立っている、歩いている… そんな思いで夜の病院の外の景色を眺めているように見える。
 瀕死…と言っていいような、それまでの大変な状態を見てきているので、この写真を見ながら、よくぞここまで回復したものだ、と、嬉しく思ったものだった。

 この写真の時点から4ヶ月ほど後に亡くなることになったが、しかし、彼女の闘病を見続けてきた私には、ここでエレーヌはひとつの山を越えたように見えた。担当医師も病院も匙を投げ、あらゆる積極治療が放棄されて、本人もほとんど動けなくなった状態から、もう一度、自分の足で立ち、歩くというレベルまで這い上がるのは並大抵のことではない。それをエレーヌがやり遂げたということは、それまで健康そのもので、身体的な苦労をほとんど経験しないで生きてきた彼女にとって、やはり大きな意義のあることだったと思える。

 もうひとつ、エレーヌが越えたと思われる山がある。それは、死の直前の引っ越しだった。本人は衰弱して入院中で、実際の引っ越し作業を行ったのは私たちだったが、予定を中止することなく、物事を変化させるほうへ、未知の経験のほうへと舵を取り続けたのはエレーヌ自身だった。この引っ越しが、よりよい療養環境を準備するためのものだったことは、すでにブログの他の場所でも書いたが、あれだけの衰弱のさなかに、自分の生活環境を大きく変える方向を採り続けたということは、大げさにいえば、最期の最期においてエレーヌが勝ちとった勝利のようなものだったのではないか、と思える。彼女の心は退却しなかったし、停止もしなかった。なるほど肉体的には亡くなりはしたが、精神的には変化を求めながら、新たな環境のほうへと進みながら亡くなった。これは、死のむこうへ抜けていった、ということではないか。身体は死んだが、心も精神も意志も、ついに死ぬことはなかったということではないか。
 瀕死のエレーヌを見舞った在東京フランス領事のフィリップ・マルタン氏は、非常に衰弱しているにもかかわらず、エレーヌが引っ越しをとても楽しみにしていた、と言う。新たな場所に移って、病気治療に専念するとともに、新たな生活を始めるのだと語っていた、と。
 エレーヌのことを今もなお思い出し、懐かしく思い、慕いもする人たちが、もし、エレーヌの最期の頃の思いや精神状態を知りたく思うとするなら、それはまさにこのこと、とにかく、新たな未知のもののほうへ進み続ける…、といったことだったのではないかと思われる。

 1941年生まれなので、生きていれば今年は71歳になったはずだった。
 ちなみに、11月22日というのはド・ゴールの誕生日でもあり、ケネディ大統領が暗殺された日でもある。(蛇足ながら、11月21日はルネ・マグリットの誕生日)。

 もし生きていれば、71歳にもなったことについて、きっと、「信じられない…」と本人は言ったのではないかと思う。歳をとるということを、誰にもまして、受け入れない人だった。
 実際、60代になっても若く見えていたし、少しでも若くいようという努力は欠かさなかった。いつも、10歳以上は若く見られ、本人もそれを嬉しがっていた。自慢してもいた。まわりの友人たちも、エレーヌは特別なのだと思っていた。

 そんなエレーヌが、急に歳相応に老けてみえるように感じたのは、いつのことだっただろう。
 2009年のガンの発病以前だったのは確かだ。
 いっしょに電車に乗っている時など、彼女はよく、学生たちの仏作文の添削をやったりしていたが、老眼鏡をかけて赤ペンを持って混んだ電車の中で作業する顔には、疲れの見える時が多かった。そういう時の疲れた顔の中に、ふと、老いの影が射すように見えはじめた時期があったが、今からふり返れば、発病の数年前だったように思う。体内で進行していたガンは、まだ症状を見せないうちから、エレーヌのあの不思議な若さのほうを先に蝕んでいたということなのだろう。
 そんな頃のものと思われる写真がある。
 エレーヌとは毎年のように、春の桜を千鳥ケ淵や北の丸公園に見に行ったが、2006年の春にそこで撮った写真がそれだ。プリントができて、これを見た時には、おや?と思わされた。まだデジタルカメラを使っていない頃、興味本位に買ってみたプラスチックレンズの使い捨てカメラで撮った写真である。日差しが強すぎ、風も強かった上、カメラの質の悪さやこちらの下手さも加わった写真だが、そんな悪条件の中で写しとられたエレーヌの顔には、今まであまり目にしたことのないような衰えの影が、白々と写っているように見えた。
 ガンが数年かけて成長し広がっていくということを考えれば、2006年頃というのは、エレーヌの体内にすでにガンができており、広がり始めていた頃と考えられる。
 この写真を見ながら、エレーヌは大丈夫だろうか、さすがのエレーヌも少し老いてきたのか…と考えたのを、いまでもよく覚えている。
  


2006年春、北の丸公園
同上

同上


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