2011/01/05

美しい日本のために  (「生活小国」日本)


      chez elle à Daita, Setagaya, TOKYO  vers 1990  
photo by Masaki SURUGA



 エレーヌ・セシル・グルナック


 私が初めて日本へ来たのは1970年でした。たまたま大阪の万国博覧会の年でした。しかし私が日本に来たのはそのためではなくて、「ほんとうの日本」、「日本の心」に近づくため、味わうためでした。だからいくつかのパビリオンを訪れて、私はすぐに博覧会の地獄から逃げ出しました。京都や奈良のお寺と庭、それからあまり有名ではなくても私にはとても面白い場所の見物に魅せられていました。 しかし私の感激は蛍光灯の光のためにしばしば削がれてしまいました。旅行中ずっと、レストランでも、招待された立派な伝統的な家屋でも、お寺でさえもこのひどい蒼白のネオン管に照らされていました。古い木造の旅館の部屋の明るい壁も、素足に温かい畳も、美しい一本の花が咲いていた床の間も、私の顔も、まるで幽霊のような反映をおびていました。なんと魂のない雰囲気、なんという悲しさ!悪いけれどほんとうに、天井に掛けられた白いネオンの光にはまったく慣れることができませんでした。 私は進歩が嫌いなわけではありません。しかし、物質的な安楽と美的感覚を調和させることはできないのでしょうか。それに、このような環境で、心身ともに落ち着くことができるのでしょうか。

 数年後、また日本に来ました。第二のショックを受けました。 むかし訪れた伝統的な街の古い家々は、素晴らしい木々といっしょに破壊されていました。とくに古い年輪をもった松などを思い出すと胸がしめつけられて、泣きそうでした。かわりにいたるところに、高さがまちまちの、とても想像できないようなスタイルの寂しい団地が建っていました。きれいな青空にもかかわらず、その街は醜くなってしまっていました。都市計画(ユルバニスム)について日本人の友達に聞くと、日本はとても遅れていて、あまり関心がありません、という答えでした。

 では、この急激な破壊を止めるためにどうしたらいいのだろうか、と絶望的な気持ちになりました。東京はどんどん醜悪な都市になってきて、非人間的で、暮しにくいことを、誰もわからないのでしょうか。人間とおなじように、都市も年をとり、改修されないと滅びてしまいます。しかしなぜあんなにゆがめるのでしょうか。なぜあんなに醜くするのでしょうか。

 都市以外でも同じ問題にぶつかります。たとえば、むかしのように熱心にお寺を見物する気持ちは、私の場合ますます薄れてきています。なぜかというと、自動販売機がお寺の美観を損なっているからです。お寺に行ってみても、もう見たくなくなってしまいます。それにいい写真も撮れないし。さらに人ごみの喧騒を加えると、私の楽しみは全く消えてしまいます

 文句ばかり言うのは申しわけないのですが……日本人の中にも、同じように考える人がいるのではないでしょうか。むかし、お祭りがあるときには、人々が祈ったり、歌ったり、踊ったり、食べたりして、うるさかったことでしょう。しかし、お祭りが終わると、また神々はもとの静けさのなかに鎮座していました……次のお祭りまで。残念ながら、現代では、お祭りの後に……美的とはいえない自動販売機がずっと残ってしまいます。美しい顔のうえの醜いいぼのように……。

 私は西洋人の審美的な感覚で感じているのでしょうか。そうは思いません。美しさは普遍的なもので、ひとつの文化の特権ではないからです。

 日本の文化は洗練された優雅なものでした。しかし明治時代から、日本は自分の国の自然や精神を破壊しています。歴史的に、攻撃的な西洋人と立ち向かうために日本は西洋化しなければならなかったのでしょう。でも言うまでもなく、想像以上の犠牲を払ったのです。夏目漱石の小説(『門』『三四郎』『それから』など)を読んでもそれがよくわかります。彼は目の前の急激すぎる変化が日本を深く混乱させているのを見ていました。
 
 ある時、日本人の友達からこんなことを聞きました。「ヨーロッパにも戦争や変化があったし、現代ではエコロジーも難しい問題です。しかし問題があっても、日本よりヨーロッパは暮らしやすい所で、自然や伝統的な建物が大事に守られていて、見物するときには楽しいし、落ち着いて、きれいな場所を訪れることができます。日本ではまず商売が先決で、自然とか美しさとか伝統のことを真剣に考えないようです」。 ヨーロッパもまた多くの問題を抱えていますから、私は部分的にしか賛成しませんでしたが、とにかく絶対に重要だと思われたのは、日本が、もうこれ以上待つことなく、効果的な、首尾一貫した都市計画を実行しなければならないということです。そうでなければ、日本人の日常生活は、どんなに現代的になっても楽しくはならず、逆に物質的にも精神的にも耐え忍べない地獄になってしまいます。

 世界的に見ると、日本は経済的に大成功をしているとよく言われていますが、ご存じのように、日本人のサラリーマンの人生は想像以上に期待を裏切る人生ですから、生きていることがほんとうに何の価値があるだろうか、とみな考え始めているようです。結果として、日本の繁栄はずいぶん皮肉なものとなっているのではないでしょうか。もちろん、明治時代以前の日本に戻ることを考えても無意味です。私たちは現在を生きており、また、未来を生きていくのですから。

 でも、だからこそ、なおさら長期的に日本の将来を考えていかなければならないと思います。日本人だけのためではなくて、日本を訪れる外国人たちにとって日本が喜びであり、夢であり続けるために。



(『三田評論』1990年11月号44-45ページ「時の話題」に掲載された。慶應義塾大学総合政策学部助手時代の文章。エレーヌ・セシル・グルナック本人が日本語で書き下ろし、本人の表現をなるべく生かしながら駿河昌樹が若干の修正を施した。)



3 件のコメント:

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  3. *2度に亘る誤植により削除し大変失礼しました*

    「死んだ者は良く見える?日本国を日本人より感受し愛している一
    人のフランス女性」と題して。

     初めて投稿させて戴きます。全くと言っていいほど接点が無く、
    時期は失念しましたが、偶然にして1枚の写真からこのウェブサイ
    トに辿り着いたのも、袖振り合うも多生の縁?の様な物を感じ投稿
    しました。
    その写真〝猫を抱きかかえている外国人(グルナックさん)〟
    (「エレーヌ・セシル・グルナック小伝」記事のトップ写真)
    がひときわ輝いて見えたのと同時に、その写真に吸い込まれるかの
    様に、接続元であるこのウェブサイトに見入ったのです。"思い出"
    記事を拝読すると大いに共感するとともに、驚くほど自身との共通
    点もあり、何より「外国人から見た日本国の在るべき姿」に警鐘を
    鳴らしている事に、日本人の一人としてありがたく感謝いたします。
    日本人で日本に住んで居ながらも、日々の生活に忙殺され現在の日
    本が色々な意味で、危機的な状況に置かれているにも関わらず、漫
    然と生きている自分に”ハッ”と胸を打たれました。僕の中の欧州
    人の像は「気位が高く、気品溢れて華美で、厳格で、攻撃的で闘争
    心旺盛、文化が違って平々凡々な僕の日常生活とは無縁だよな・・
    ・。」などと苦手意識、毛嫌いさえしていましたが、グルナックさ
    んの様な生き方、考え方を持った方も居る事に「国は違っていても
    同じ"人間"なんだよな。。。」と痛感させられ、何故だか"ホッ"
    とした気持ちにもなりました。「壁の向こう側、雲の上の存在」と
    言った思いもあり、また、華美な装飾等をしている人を見ると"違
    和感"や"距離がある"等と言った嫌悪感があり、条件反射の如く拒絶
    する心が存在するからだと思います。グルナックさんは、質素で何
    の飾り気も無く、上品に気取らず、チープでフランス人らしからぬ
    装いが、僕には温かみのある輝きに見え惹かれる思いになりました。
    ご健在であったら、一目お会いしたいくらいさえ思いました。惜し
    い方が満68歳でお亡くなり残念無念です。
     「日本人が日本国を破壊している。」グルナックさんのご指摘か
    ら感じた最初の印象でした。歴史をつぶさに紐解けば、当たり前で
    すが、日本もフランスも何処の国でもそうですが、過去が無ければ
    今現在の姿はありません。現在の日本国は、色々な理由で過去の歴
    史が作り上げた時代の産物です。文化の違いも然りで、特に日本は
    島国で自給自足が出来ない上にしかも、地震国でもあり災難続きで
    資源も乏しく、「揺れる小船」とでも言いましょうか。明治時代、
    日本国そのものが貧乏だった時代から、豊かさ便利さ等を追い求め
    て外地に活路を見出す為、軍部を奮い立たせて、幾度かの戦争を重
    ね、先の大戦で、虚脱状態になった戦後からの復興・再出発の中、
    西洋・欧米の世俗や技術が取り入れられて以来、鎖国をしていた江
    戸時代までの純日本国の性質を変貌させ日本国の西洋・欧米化して
    しまったと思います。極端な話、着物を着てフランスの街を歩いて
    も変に浮いてしまうし、またその逆も言えます。動物の世界でも同
    じ事が言え、外来種が生態系に影響が出ます。日本固有の文化に西
    洋・欧米の文化を取り入れても、良い面もありますが、弊害の側面
    も併せ持ちます。伝統的な文化財も寺院や古い家々には、必ず維持
    費が発生します。現在の日本の国情を考えると、古い物ほど、維持
    管理費が技術面から見ても高額となり、前途暗澹たる国内情勢から
    鑑みると、残念ながら低額の人工物に置き替わざるを得ないと言っ
    た厳然たる事実があります。ですが、自然や伝統的構築物には人間
    の特に精神面にとても大切で、確かに心身ともに癒されるものです。
    寺院の照明はやはり蝋燭かせいぜい白熱電球くらいが調和が取れて
    良いのですが、電気照明灯(特に蛍光灯)になると、これを不快に感
    じておられるグルナックさんも僕も全く同じで嫌いです。これには
    理由があります。電気に精通している事もあり、知識としてお話す
    ると、実は蛍光灯は「点灯」ではなく「点滅」しているのです。人
    間の脳は錯覚して点灯している様に見ますが実は点滅なのです。
    「商用50ヘルツ」という言葉を聞いた事があると思いますが、家
    庭用コンセントに供給している電気は商用交流電源で、1秒間に5
    0回超のプラス極とマイナス極が、時間とともに反転し絶えず電流
    等が変化している為、点滅するのです。それが気づかぬ内、脳に悪
    影響を与えてしまう事が判ってきました。加えて、特に夜寝る前に
    昼白色と言った白色の光を強く直説目に浴びせてしまうと、視神経
    から脳へ光が伝わり、自律神経の交感神経が優位になって覚醒・興
    奮状態になってしまい、不眠症や精神疾患の原因の一つとされてい
    ます。ですから、たくさんの人工物に囲まれた現代、電気に始まり、
    プラスチック製品や合成洗剤等と言った石油製品、食品添加物入り
    の食べ物等、列挙したらきりがありませんが、"豊かさ便利さ"を追
    い求めた結果、自然や精神を破壊し、歴史的建造物が存在できない
    結果となり、それは現在進行形でもあります。人間、意外と単純に
    出来ているのでしょうか。「シンプル・イズ・ベスト!な生活。」
    これが最もたる答えだと思います。
     本題から随分外れましたが、日本人の中にも、グルナックさんの
    様な思想をお持ちの東京人も居ます。ある意味、東京を良く知り尽
    した良心的な方は、地方移住をしている人も散見します。
    首都・東京を見て絶望的な気持ちに、醜悪な都市に心痛される気持
    ちお察します。僕は埼玉在住で、東京とのアクセスは容易なので鉄
    道や自動車で行く事はありますが、やはり「疲れる、息が詰まり気
    が休まらないしせわしなく喧騒としていて焦燥感を覚える。」と言
    うのが正直な感想です。何度行ってもあの雰囲気には慣れませんし、
    辺りを見回しても人工物の勢揃いで嫌気が差すほどです。埼玉でも、
    都市化の波があり、随分現代的になってきました。豊かさ便利さは
    表面上良くても、裏では、それだけ"害"になるものも増えていると
    言う事です。両刃の剣と言いましょうか・・・。僕は常に「何故?
    何故?」と自問自答し、真剣に考えすぎて夜もまんじりとしない日
    々があるくらい悩む性格で、色々な物が見え過ぎてと言うか、感受
    性・冒険心が異状な為、時に息苦しくなります。本質・事実を知り
    純粋に生きようとすればするほど、逆に苦しめられるのが現在の世
    の中なのです。日本人全てが無慈悲な人とは思いたくありませんが、
    自然や歴史的・伝統的文化財と言ったものの命・魂・息遣いが感じ
    取られる心ある方も居ると願いたいものですね。日本国は日本人の
    ものであっても、日本人だけのものでは無いのですから。
     思いの丈を長々と綴ってしまいましたが、この"思い出"記事が、
    一人でも多くの方に読まれて、〝美しい日本〟の将来への糧にな
    れば、グルナックさんも草葉の陰で喜んで日本の行く末を見守って
    いると思います。改めて、このウェブサイトに出会え、グルナック
    さんに間接的にでも知り得たことに感謝します。終

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